【12】そうだ いつまでも庶民の仲間じゃあいやだね(安サラリーマン豊島)

©️水木プロダクション

“庶民”という言葉は、決して悪い意味ではない。世間一般の人のことで、“庶民的な”と言えば、むしろ親しみやすいイメージがある。

 しかし、面と向かって「庶民」と言われると、多くの人がムカつくのではないか。

「『幸福』という名の怪物」は、右腕に黒い肘カバーをはめた安サラリーマンの豊島が、街中でいきなりねずみ男から、『おい、庶民』と頭を押さえつけられるところからはじまる。

 メガネ出っ歯の豊島は、ムッとして『どなた? 人違いではありませんか』と、荒い鼻息を洩らす。ねずみ男は『ひひひひ』と笑い、『「幸福」がポンと肩をたたいたのだよ』と、豊島を喜ばせる。ねずみ男は『幸福の卵』なるものを取り出し、これをフトコロに入れて温めると、『幸福』という名の怪物が生まれるから、それを育てればキミの人生は幸福に満ちあふれるであろうと予言する。

 家に帰った豊島は、『幸福の卵』に疑念を抱く妻を、『すべて信じるものは救われるのだ』と諭し、やがて上方をにらむ目玉のような怪物『幸福』が生まれると、『神棚に上げとけ。逃げたら一生、不幸がつきまとうぞ』と命じる。

『幸福』に上等のミルクを飲ませると、翌日、会社の課長が交通事故で急死したため、さっそく豊島が課長代理に任ぜられる。妻は商店街の売り出しで一等賞をもらったと喜ぶ。

 幸福の訪れを実感した2人は、『幸福』にミルクだけでなくヨーグルトも与え、果てはローヤルゼリーまで与えて、『幸福』を大きく育てようとする。豊島は部長に昇進し、妻もどんどん若返り、『理解できない幸福がどんどん舞い込んでくるじゃないの』と喜ぶ。

 そこで、メガネ出っ歯が冒頭の一言を洩らす。

 続けて妻が夢見るように言う。

『そうよ。あたしだってひばり御殿のような家がほしいし、家にプールもほしいわ』

『ぼくだって社長になりたい』

 そうつぶやくメガネ出っ歯の背後で、巨大な目玉クラゲのような『幸福』は、天井を圧するほどに成長する。これだけ大きくなれば、どんな幸福が訪れるのかと、期待に胸を膨らませたとたん、『幸福』は破裂して消えてしまう。

『おまえが欲張るから』『あなたが大切にしないから』と、夫婦は互いを責めるが、その虚しさに気づいた妻は、鍋の底を洗いながら、『明日からまた不幸がやってくるわ』と、庶民の悲哀に浸るのだった。

 怪物『幸福』は、なぜ破裂したのか。

 そのヒントは、2人が喜んだ幸福の内容にある。出世であったり、一等賞をもらったり、若返ったりと、夫婦の幸福は常に現実的かつ皮相的なものだ。水木サンの描く怪物『幸福』が、当てもなく上方ばかりをにらんでいるのも象徴的だ。こういう欲望にはキリがない。

 なぜ欲望を持つかと言えば、不足があるからだろう。満足すれば欲望も抑制される。そうすると、怪物『幸福』も破裂せずにすんだのではないか。

“庶民”に相対する言葉が“貴族”であれば、身分制度のない現代で存在するのは“精神的貴族”であろう。つまり、精神的な幸福で満足する人たち。こういう人は、自ら足るを知り、感謝の気持を忘れない。

 逆にどんな金持ちでも、有名人でも、博士や大臣であっても、もうと儲けたい、もっと偉くなりたいと思っているかぎり、“精神的庶民”から抜け出せない。

 つまり、いつまでも庶民の仲間じゃいやだと思う人ほど、庶民から抜け出せないということだ。

(「『幸福』という名の怪物」より)

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