【23】猫や犬も人間ほど心配してはいないようすだ……(メガネ出っ歯の青年)

©️水木プロダクション

 あなたは常に何かを心配していないか。

 病気の心配、事故の心配、災害の心配、お金の心配、受験の心配、結婚の心配、介護の心配、家族の心配、将来の心配。

 なぜ、そうなるのか。それは未来が見えないからだ。

 この先、何が起こるかわかっていれば、いろいろ対策もできるし、心配することもなくなるだろう。しかし、ほんとうにそうか。

 メガネ出っ歯の青年が、たまたま山の中の静かな一軒家に迷い込み、囲炉裏に火を焚いていると、坊主頭の単眼男が現れ、『あたらせてくれや』と頼む。それは大黒柱の下に住む一つ目小僧だった。

 浮かない顔の青年に、一つ目小僧が『なにか心配ごとでもあるのかな』と聞くと、『じつはボク、いまお金がないばっかりに失恋中なんです』と訴える。一つ目小僧は『近頃の女子(おなご)は勘定高いというからな』と嘆きつつ、『じゃあ、もう一つ目をつけてみるか』と、青年に持ちかける。『人間の目は二つだから三次元の世界しか見えない』が、『一つふえて三つになれば、四次元の世界、つまり未来がみられる』というのである。

 青年は喜んで額にもう一つの目を植えてもらう。すると、未来が見えるようになる。

 帽子で隠しながら、第三の目で競馬馬を見ると、どの馬が一着になるかが見える。株式の新聞を見れば、一週間後でも一カ月後でも、自由に未来の相場が見える。

 大儲けした青年は、やがて上等の家とスポーツカーを手に入れる。これで自分を振った花子も惹かれるだろうと思っていると、男といる花子を見つける。声をかける前に『ちょっと花子さんの十年後をのぞかせてもらおうかな』と、帽子を持ち上げると、皺だらけになって『ミヒヒヒヒ』と笑う老婆が見える(男のほうは位牌を持ち、額に三角布をつけている)。

『なんだ、十年であんなにふけるのか。いまのうちに逃げよう』と、青年は車を走らせる。すると風の勢いで帽子が飛び、青年は『すべてが地獄のような未来』を見てしまう。絶望した青年は、ふたたび山の中の一軒家にもどり、一つ目小僧に『どうだ、いっそ一つ目になったら』と誘われる。

『一つ目になれば、あの子供(ジャリ)のように現在(いま)しか見えないのだ。こうして生きている現在(いま)だけ』

 そう言われて、青年は無邪気だった子ども時代を思い出し、『人間が本当に生きているのは現在(いま)だけだ』と思い当たる。

 そこで冒頭の冴えた一言をつぶやくのだ。

 私事で恐縮だが、以前、うちで飼っていた犬は、晩年、両目を失明して、さらには聴力も失ってしまった。それでも手探り(口さぐり?)で餌を食べ、慣れた道はにおいを頼りに散歩していた。人間の老人とはちがい、悩んだり悔やんだりしているようすはなく、なぜこんなことになったのかとか、なんとか元にもどれないかという嘆きは、いっさいないように見えた。

 それは犬が過去や未来を見ていないからではないか。人間はその両方を見るから、過去を振り返っては、なぜこんなことになったのかと悔やみ、未来を見ては、これ以上悪くなったらどうしようとか、何とかよくならないかなどと悩む。

 しかし、それをまったく気にしない人もいる。認知症の患者だ。

 認知症になれば、過去も未来も消えて、意識するのは現在(いま)だけになる。むかしのいやなこと、辛い経験、腹の立つことも忘れ、将来の不安や病気の心配も消える。死さえ意識しなくなるから、死の恐怖もなくなるのだ。

 私が在宅医療で診ていたある高齢の男性は、死が怖くて、風邪を引けば肺炎を心配し、動悸がすれば心臓発作を怖れ、手が痺れると脳梗塞で寝たきりになるのではと悩んでいた。その人が、脳血管障害で、急速に認知症になった。すると、いっさいの不安が消え、ハーモニカを受話器のように持って、壁に向かって何やら話したりするようになった。

 認知症にだけはなりたくないと思っている人も多いようだが、いくらいやでもなるときはなる。巷で言われている予防法はすべて根拠がなく、治療薬も認知症を治すことはできない。

 認知症を怖れるのは、イメージの問題で、たしかに認知症になりかけの人は気の毒だが、認知症になりきってしまえば、前述の通り、何もわからなくなる。周囲は迷惑するかもしれないが、認知症の本人は、それも気にならない。逆に、高齢になって機能が衰え、自分がダメになっていくことを、明晰に認識するのはこの上なくつらいことだ。そう考えれば、認知症には自然の恵みという一面もある。

 今、認知症の治療薬は、「進行を遅くする」という効能しかないが、本人のことを思えば、むしろ「進行を早くする」薬のほうが、望ましいかもしれない。

(『シリーズ・日本の民話』「一つ目小僧」より)

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