【53】いっしょうをらくな道をいくか、でこぼこの道をいくかはただくばられる魔の紙にかかっているのだ(いも太といぼ)

©️水木プロダクション

「くばられる魔の紙」とは、試験用紙のこと。

 いも太は赤ん坊のときから額にいぼがあり、両親が取ろうとしても、泣き叫んで抵抗した。いも太が愛情を込めて育てたおかげで、いぼは成長し、あるとき、額から抜け出して、『にせいぼ』であることを告白する。

 いも太は『おまえはことわりなしに、長年わしのえいようをうばっていたのだな。どうりでわしのちえが人よりおくれているとおもった』と言うが、いぼは『あなたのちえのおくれなんかとりかえしてあげます』と、保証する。

 その方法はこうだ。

『いまのような試験時代に、ぜっこうのカンニング生物だとは思いませんか?』

 すなわち、試験中に額から抜け出して、優秀な生徒の答えを盗み見て、いも太に教えるという寸法だ。

『寺子屋から大学……、はては政府の役人にいたるまで、いっしょう試験がつきまとうという試験じごく時代だ』といも太が慨嘆すると、いぼはこう応じる。

『やたらと白い紙をくばってこたえをかかせて、あたまのできをおしはかる時代よ』

 いも太は『試験官のよろこぶこたえをどんどんかくものは生活を保証され』、『ぎゃくに0点をむやみにとるものはでこぼこ道にほうりだされ』と嘆いたあと、いぼと冒頭の会話を交わす。

 試験によって生活のレベルが変わるのは、現代も同じだろう。

 私自身、今の生活があるのも『くばられた魔の紙』に帰するところが大きい。すなわち、大学の入試と国家試験だ。むろん、その時々の偶然や努力もあるが、そもそもの土台は、大学に合格したことからスタートしたと言っていい。

 高校生のころの私は、何者でもないただの憂うつそうに顔をしかめているはみ出し者と見られていた。それが大学に合格した途端、周囲の見る目が変わった。見えない値札(それもわりと高値の)を貼られたようで、親も親戚も友人も、それなりの目線を向けるようになった。

 国家試験も同様で、うまく『試験官のよろこぶこたえ』を書いたおかげで、『魔の紙』は、私に一生有効な『生活の安定』という“切符”を与えてくれた(そこには重大な責任と、医療の不条理に翻弄されるというオマケもついていたが)。

 水木サンが冴えているのは、試験の正解を、『試験官のよろこぶこたえ』と書いているところだ。『正解』を『正しい』とは考えてはいない。

 試験でいい成績を取ろうとする者は(たいていの人間がそうだろう)、『正解』を求め、それを正しいと信じている。しかし、社会に出ると、常に『正解』があるわけではなく、むしろ仕事でも子育てでも夫婦仲でも、答えのない問題に直面することが多い。

 すなわち、試験問題の正解など、単に『試験官のよろこぶこたえ』にすぎないのだ。

 今は不寛容の時代で、カンニングは犯罪のように取り締まられているが、私が学生のころは世の中が鷹揚で、学科の試験などでカンニングに目くじらを立てる教授はいなかった。学生のときから小説家を目指していた私は、医学部の勉強は時間の無駄と考えていたので、教養部や基礎医学の試験は、すべてカンニングに頼った(半分冗談ですが)。

 国家試験だけはカンニングが不可能だったので、覚悟を決め、6年の大学生活のうち、最後の1年だけは死にもの狂いで勉強して、卒業試験ともども自力ですり抜けた。慣れない勉強をしすぎたため、卒業試験期間中にマイコプラズマ肺炎にかかるという苦い経験もしたが、そのおかげで『生活安定チケット』をいただいたのは前述の通りだ。

 水木サンは自伝等にもある通り、『魔の紙』の恩恵に浸れず苦労した側にいたようだ。『魔の紙』のせいで『でこぼこ道』に放り出された人にとっては、実に不合理なシステムだろう。

 いも太はいぼのおかげで『高等官の試験にもごうかくし』、『高いくらいについて、うんと給料をもらい、まい日、わいろをうけとりながら……、いいくらしをたのしんで』、『うわっははは』と満ち足りた笑い声をあげる──。

 というのはいも太の空想で、『てなぐあいにこのいぼがそだってくれんかなあ』とつぶやくと、父親に『おまえ寺子屋の試験におちたぞ』と告げられる。

 どこまでも現実は厳しいのである。

(「いぼ」より)

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