あくどい商売。
はじめからそれを企む人間もいるだろうが、多くは成りゆき上、その道に踏み込まざるを得なくなるのではないか。商売はもともと金儲けが目的だから、そちらのほうが儲かるとなると、追い込まれた人やモラルの弱い人は、つい誘惑に負けてしまう。
置物のダルマを売る『だるまや』で働く丸顔の『三平』は、満足に掃除もできずに主人に叱られ、草履の脱ぎ方が悪いと番頭に注意される無能な丁稚だった。
ダルマの色塗りをしながら、こうつぶやく。
『一体、俺の幸福はどこにあるんだ』
さらに食事もそこそこにダルマの配達を命じられ、『お金がないばっかりに、こんなにコキ使われねばならんのだ』とボヤく。
稲荷神社でサボッていると、ネズミ男が現れて、『どうか、らくをして大金にありつけますように』と祈るのを目撃する。
そんなウマイ話があるのかと訝ると、ネズミ男は、『お願いすることによって、突然、大金が舞い込み、大金持ちになった例だって、十万人に一人ぐらいはある』と答える。そこで三平は、毎夜、稲荷神社に参るようになる。
するとある日、大金持ちの三越屋呉服店の主人に憑いていた『太郎稲荷』が、主人が死んだため、次に憑く相手をさがしているのに出くわす。三平は『太郎稲荷』の命令に従うことを条件に、『ナショナル屋の松下幸之助』のような人になることを望み、『稲荷さま』に憑いてもらう。
そこから三平はバリバリ働きだし、主人に見込まれて養子になり、『二代目だるまや忠兵衛』になる。
忠兵衛は不眠不休で働き続け、金は儲かるが、睡眠不足で披露困憊する。初老になっても丑三つ時に起こされ、一杯の酒を飲むことも許されない。さらに儲けるため、『ダルマ工場を三つばかりふやせ』と店の者に命じ、『これ以上だるまを作っても売れないと思いますが……』と反対されると、こう答える。
『ダルマをもてばゴリヤクがあると宣伝して、不用品でもムリに買わすのです。大衆におしつけるのです。早くチンドン屋を百組ばかり日本中にばらまいて……、大衆をだますのです』
そのあとで、欲に突っ張った顔を歪めて、エゲツナイ一言を発する。
「泥水でも肝臓にきくといって売れば、薬として通用するのです」
この作品の初出は1964年で、水木サンはその当時から、怪しげな薬の宣伝を見抜いていたのだろう。
怪しげな宣伝といえば、サプリメントや健康食品の類いはその典型で、まさに絶妙の“表現”を駆使してさも効果があるように説明される。コラーゲンやヒアルロン酸など、論理的に効くはずがないものが売れるのは、一定の効果があるからだろう。それはプラセボ効果(=偽薬効果。効くと思ってのんだら効くという心理的効果)である。
偽薬であれ、まじないであれ、効果があれば患者はOKなので、医者がとやかく言うべきではないかもしれないが、そこにはあざとい金儲けが潜んでいることを忘れるべきではない。
忠兵衛は太郎稲荷に、『長者番付のトップをかざる』より、『休息がほしいのです』と訴えるが、冒頭の一言で一蹴される。挙句、バッタリ倒れて一巻の終わりとなり、神社にもどった稲荷は、『さて、こんどは誰にへばりついてやろうかナ』と洩らす。
過労死の中には、自ら限界を超えるまで働き、命を落とす人もいるのではないか。そういう人には、亡くなったあとで、「これでやっと楽になったね」と、声をかけてあげるべきだろう。がんで苦しい闘病していた患者が亡くなったときも、家族が「これで楽になった」と、自らを納得させるように洩らすことがある。
たしかに死は永遠の休息である。
(忍法秘話シリーズ「太郎稲荷」より)