戦争反対、生命尊重、差別反対、イジメを許さない、原発反対、接待反対、忖度反対。
すべて正しく、忘れてはならないことである。と、ほとんどの人が思っている。
短編「ハト」の冒頭では、メガネ出っ歯とネズミ男が、碁を打ちながらこう嘆く。
『近ごろの道徳の乱れはどうです……』
『我々の若い時分には、親のほうに足を向けることさえ不孝といわれていたものです』
『そうです。道徳教育が不足しとるのです』
メガネ出っ歯は、息子の三太に、『みっちり道徳教育を』仕込むため、ネズミ男のアイデアで、ハトを飼わせることにする。ハトの飼育で親の苦労を学ばせようというわけだ。
ハトを与えられた三太は、甲斐甲斐しく世話をはじめる。しばらくすると、自ら父親の肩を揉もうとしたり、母の代わりに使いに行くと言いだしたりする。さらには、廊下の拭き掃除から、友だちのケンカの仲裁まで行い、日増しに善行を積む。
母は喜び、メガネ出っ歯の父親も、『ひょっとしたら聖人になるかもしれんゾ』と期待する。
ところが、三太は改まった調子で両親に問うのである。
『どうして毎日ブラブラして、くだらぬことをしゃべっておられるのです。働かざる者は食うべからずと申します』
父親が『わしは金貸しというてナ、人様に金を用立てて、利子で食っておるのじゃ』と説明すると、『はたしてそれが社会に有益なことでしょうか』と疑問を呈する。
母親には洗濯物が溜まっているとか、ごみ箱のフタが開いてるとか指摘し、訪ねてきたネズミ男には、『人を訪問するのに、そんなキタナイ臭い着物では失礼にあたりますよ』と注意し、『いくら自由業だからって、毎日ブラブラして遊んでいることが、はたして人道上正しい行いでしょうか』と詰め寄る。
挙句の果てに、父親の金貸し業にまで口を出し、『人の弱みにつけこんで暴利をむさぼるのは道徳に反します』と言って、一割二分の金利を三分に負けさせる。
『毎日、家内と「道徳」におびえながらオドオドしてくらしている』というメガネ出っ歯に、ネズミ男は『そりゃア道徳が向上しすぎたんだ』と言い、医者に相談に行く。『天下の名医』と看板を揚げている医者は、『ハトにしばしば特殊なビールスをもっているものがあり』と言い、冒頭の診断を下す。
そして、ネズミ男にこう言う。
『道徳というものは世の中に必要なものですが、あまり過度にありすますと、逆に迷惑至極なものでありまして』
ハトを放せばビールスも減ると言われ、三太は危うく『聖人病』という『不治の病』にならずにすんで、『平凡な子供』にもどる。
私が常々、正義を口にする人々に眉をひそめるのは、当人たちが無自覚に貪っている隠微な快感に反発を感じるからだ。世の中、過度の正義や善意ほどオソロシイものはない。かつては「お国のために」で、戦争に突っ込んでいった。当時、そのスローガンがまちがっていると思う人はほとんどいなかった。今、みんなが正しいと思っていることも、将来、どうなるかわからない。
(忍法秘話シリーズ「ハト」より)