【68】諸君はノーベル賞を一ダースほしくないか?(見出し)

©️水木プロダクション

 私が子どものころ、光文社のカッパコミックスで、『鉄腕アトム』と『鉄人28号』がシリーズ化されていて、それが2011年に小学館からどちらも『カラー版限定BOX』として復刻された。

 懐かしくて、つい大人買いすると、『鉄人28号』の2巻に、人間を機械に置き換えたサイボーグが登場する話、「超人間ケリーの巻(上)」があった。解説を書いているマンガ研究者の中野晴行氏によれば、もともとサイボーグは人類が宇宙に進出するために身体の器官を機械に置き換えるという発想で、1960年にアメリカの医学者らによって提唱されたアイデアらしい。それがマンガに取り入れられて、日本の子どもたちの間で有名になるのは、1964年にスタートした石ノ森章太郎の『サイボーグ009』からだが、横山光輝の「超人間ケリーの巻」はそれより早いと賞賛されている。

 なるほどと思って読み進むと、次にこう書いてあった。

『おそらく、昭和35(60)年に水木しげるが貸本向け短編集「恐怖のマガジン」第2集に描いた短編「サイボーグ」に次ぐ早さだと思われる』

 なんと、水木サンはアメリカでサイボーグのアイデアが出たその年に、早くもマンガに取り入れていたのである。当時の水木サンは、ブレイク前で生活も苦しく、情報収集にも苦労しただろうに、最先端のSF的アイデアを作品化していた闊達さに驚かされる。

 水木さんの「サイボーグ」は、来るべき宇宙時代に、他惑星の過酷な環境で生き延びるため、『一部が人間で、一部が機械であるような人間を作る』ことを目指して、宇宙学の大家・中谷博士が学生から志願者を募る場面からはじまる。

 博士は学生たちに、『宇宙にたどりついたあかつきには、その人の名誉は人類の歴史にサンと輝くでしょう。ノーベル賞の一ダースはまちがいないところでしょう』と持ちかける。この章の見出しが冒頭の一言だ。

 ノーベル賞をエサに志願者を募るわけだが、『一ダース』とはノーベル賞も安売りされたものだ。貸本時代のシリアスなタッチの劇画で、このようなセリフが発せられるところに、水木サンの巧まざるユーモアが炸裂している。

 尾花健二という学生がこれに応募し、過酷な訓練を受けたのち、改造手術を受ける。尾花は宇宙人とロボットが合体したような怪物になって、『耐えられない孤独と絶望』に心を占領され、結局、宇宙で死ぬことを求めるという悲劇で話は終わる。中谷博士も、『人間の生命』を軽んじたことに対する『神の罰』で、おそらくサイボーグと化した尾花に殺される。

 私が瞠目したのは、サイボーグに改造する過程で、宇宙では役に立たない口や目を封印し、機械に置き換えるという発想だ。過酷な訓練で老人のようになってしまった尾花が、『食べるのは……』と聞いたとき、中谷博士がこう答える。

「食物は胸のカンからパイプで胃袋の中に流し込まれる」

これはまさに“胃ろう”を予言するセリフではないか。

 胃ろうとは、嚥下機能の低下などにより、口から食事が摂れなくなった人に、直接、胃に流動食などを注入できるよう、腹部から胃に差し込んだシリコン製の医療器具のことである。これがあれば、高齢者も点滴の必要がなくなり、薬なども注入できるので、ひじょうに便利なものとして、医療現場で歓迎された。私も長らく高齢者医療に携わったので、はじめは重宝したが、やがて大きな欠点に気づかされた。胃ろうをつけると、高齢者がなかなか死なないのである。

 死ななければいいと思うかもしれないが、意識もなく、関節は拘縮し、ガリガリにやせ細り、まったくの無言無動になっても生き続ける高齢者は、とても尊厳がある状態とは言いがたい悲惨な状態になる。その上、日々、排泄の世話から褥瘡予防の体位変換、全身の清拭、洗髪、口腔洗浄、陰部洗浄、爪切り、耳掃除、着替え等、介護に多大の介護を要し、胃ろうや導尿カテーテルの定期的交換も必要で、経済的にも肉体的にも精神的にも、少なからぬ負担を家族に強いることになる。

 そんな実情を目にすると、胃ろうもある意味、『人間の生命』を軽んじている側面があるのではと思えてならない。

(「サイボーグ」より)

(定期配信は今回で終了します。以後は、単発掲載があるかも・・・)

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