【13】第一、労力と報酬の採算がとれてないじゃないの(ねずみ男)

©️水木プロダクション

 労力と報酬のバランスは大切である。

 いくら苦しくても、それに見合うだけの報酬があれば、我慢できる。しかし、報酬はたいてい手にしてからしかわからないので、見合わなければ、バカを見たということになる。

 冒頭の一言は、熱心に修練を積む丸顔の忍者に、ねずみ男が放ったものだ。

『命がけで働いて、はした金しかもらえねえ忍者なんか、なるやつの気がしれないよ』

 さも軽蔑するように言ったあと、ねずみ男は忍術を時代遅れと決めつけ、『らくしてのんびりくらす仙術の時代がおとずれたってことサ』とうそぶく。

 場面は変わり、居酒屋で2人の老人が嘆いている。2、3日前までみずみずしい美男子だったのが、一夜にして老いてしまったというのだ。丸顔の忍者は、ねずみ男の仕業にちがいないと踏み、事件の解決を請け負う。

 忍者がねずみ男に向かい、『お前は仙術によって人間の生気を食べてるんだな』と追及すると、ねずみ男は『フン、食べてなにがわるい』と開き直ってこう言い放つ。

「人間共が魚とか野菜とかいう下等な生物を食するように、わしが人間から高等な生気を吸いとったからとてなにが悪い。人間より高等な生物として当然のことじゃないの」

 人はサンマやホウレン草を食べるとき、疑問を感じない。無意識のうちに、高等な人間が下等な動植物を食べて何が悪いと思っている。地球上に人間より高等な生物がいなくてよかったナという話だが、同じ人間の中でも、自分を高等だと思っている人はいるのではないか。

 高等でなくても、賢いとか、善良だとか、まじめだとか、気前がいいとか、優しいとか、我慢強いとか、物知りだとか、まともだとか、弱者の味方だと、思っている人々。私も人のことは言えないが……。

 ねずみ男の放言に、丸顔の忍者は「鼻もちならぬエリート意識」と顔をしかめる。しかし、相手は不老不死の高等仙術を身につけているので、勝ち目はない。そこで忍者はこう作戦を立てる。

「そうだ。自惚れの強い奴はおだてるに限る」

 忍者はねずみ男の前にひれ伏し、無給の召使いになることを申し出る。ねずみ男の美声をほめ、スタイルを『優雅な御趣味でございます』とおだてる。調子に乗ったねずみ男は、さらに若さを得るため、生気を吸いとりすぎて赤ん坊になってしまい、まんまと忍者の手に落ちるという、イソップ童話のようなベタな結末だが、物語の示唆するところは、イソップ童話同様、甘くはない。

「上昇停止症候群」というのをご存じだろうか。会社のために懸命に働いてきたサラリーマンが、あるとき、これまでかけた労力と、これから得られるであろう報酬が釣り合わないと悟った途端、ヤル気を失ってしまう精神状態のことを指す。

 似たようなことは、医者の世界でもある。若いうちは患者のためにと、懸命に医療に尽くしていた医師が、ふと自分の残りの人生を考えたとき、とても努力と献身に見合う収入も、尊敬も、感謝も得られないと感じた瞬間、金儲け医者へと転身する。冒頭のねずみ男のセリフに気づくわけだが、私の身近でもそういう実例は稀ではない。

 本作では、新機軸の仙術を会得したねずみ男が、古くさい忍術をバカにするところからはじまるが、この構図は、ITやらベンチャーで大儲けをしている(あるいは企んでいる)若い世代が、アナクロ世代を見下げる状況にも通じる。

 自惚れは、自分でそうと気づかないから自惚れになる。アナクロ世代の私も、大いに自戒せねばならない。

(「不老不死の術」より)

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