【34】ここの問題じゃあござんせんか?(蛇麿)

©️水木プロダクション

 いかにも強気でやり手そうな男が、頭を指さして言う。

 言われた男が、「おめえ、俺の脳みそがくさってるとでも……」と言い返すと、相手は「そうよな……。年中、貧乏している連中はアタマが悪いのだ」と言い捨てる。

 言った男は蛇麿、言われたメガネ出っ歯の男は鈍太で、2人は『河童の皿とり』をやっている。『河童膏』という打ち身や切り傷に効く軟膏の主原料が、河童の皿であるからだ。

 蛇麿はひと月に3皿も取るのに、鈍太は半年たっても1皿も取れない。そこで主人が、蛇麿に『皿とりの秘訣』を教えてやってくれと頼むと、蛇麿は『旦那、悪いけど……』と断って、冒頭のセリフを吐くのである。

 有能な人間と、無能な人間。実社会は残酷なので、そういう階級が発生する。いくら正直でも、親切でも、話がおもしろくても、結果に結びつかなければ評価はされない。

 それでも、無能な鈍太は素朴そうな妻に励まされ、不退転の決意で皿とりに出かける。 と、沼で水音がして、河童の気配に気づく。鈍太はすかさず沼に飛び込み、河童のあと追うが、力尽きて溺れてしまう。

 気を失った鈍太は、河童に助けられ、洞窟のような河童の棲み処で蘇生する。河童の家族に歓待され、キュウリやお茶をごちそうになる。その親切に、鈍太は『こんなものたちの皿をとるなんて罪なことだ』と自省する。皿を取ると、河童は死ぬと聞いたからだ。

 そこへ蛇麿がやってくる。『どうしてここに』と鈍太が訝ると、『分かってるじゃねぇか。お前と同じ方法だよ』と言い、『河童は人情深いから、おぼれたふりをしていれば助けてくれるのだ』とささやく。

 蛇麿は助けていただいたお礼にと、持参した『人間の酒』を河童にふるまう。鈍太にも飲ませてから、それが『しびれ酒』だと明かす。

 皿を取りにかかろうとする蛇麿に、鈍太は、『助けた河童の命をとるなんて……てめえ鬼だな』と怒鳴る。すると、蛇麿は『バカヤロウ。旦那だって昔はこうしてしこたまもうけたんだ』と言い返す。

 そして、意識はあるが動けない河童の親子の頭から、包丁で皿を剥がし取る。『ゾリゾリ』『ギャー』の描写が酷い。

 そんなことまでして金儲けがしたいのかと鈍太が非難すると、蛇麿は、『人間は金を目的に動いているのだ。人がどうなろうと、お金さえもうかればそれでいいじゃねぇか。それが世の中というものだ』と言い返す。このとき、蛇麿は河童の皿を剥いだ興奮か、はたまた自分のセリフの殺伐さに怯えてか、冷や汗を流している。

 しかし、そのあとで自分を立て直し、次の一言を発する。

「すべての成功者は自分のことだけを考え、おしみなくうばう・・・・・・・・のだ。人のことなんか考えてる人間は、いまの世の中ではろくでなし・・・・・か敗残者になるしかねえよ」

 蛇麿が去ったあと、鈍太は折り重なる河童の死体を前に、『ざんにんだ。俺にゃできねえ』と、肩を落として帰って行く。

 手ぶらで店にもどると、当然ながら、主人は激怒。前借のカタに身ぐるみ置いて行けと言われ、フンドシ一丁で追い出される。家に帰ると、あきれた妻が、『無能力者よ。あいそがつきたわ』と、茶碗を投げつけ、荷物をまとめて出ていく。

 ボロ長屋に取り残された鈍太は、けっこう誇り高い顔で、『果たして俺のやってることが本当にまちがっているのだろうか』とつぶやく。

 いや、そんなはずはない。鈍太こそ正しいと、ふつうのマンガや小説では、肯定的なメッセージが最後に語られるはずだ。あるいは、蛇麿や旦那が思いがけない不幸に陥って、敗北する。しかし、水木サンはそんな安易な結末はつけない。物語の最後のコマは、月の下に雲がたなびくだけで、鈍太には何の救いもない。誇り高い顔はしていても、身に着けるのはツギだらけのボロ浴衣だ。

 アタマのいい成功者は“悪”だと断じながら、“悪”のほうが豊かで強いという現実から目を逸らさないところに、悲惨な戦争を体験した水木サンのシビアさがある。

(「河童膏」より)

タイトルとURLをコピーしました