しなければならないことが、なかなかできない。
気が散る。集中力がない。意志が弱い、誘惑に負けやすい。理由はいろいろあるが、水木サンの描く「受験と人生」は、たった見開き2ページながら、身に覚えありありの短編である。
朝、メガネ出っ歯の受験生は、遅めに起きると丹念に歯を磨き、朝食兼昼食を摂ったあと、何より大事な健康を維持するために、まずそこらを散歩する。
帰ってすぐ勉強するというわけにもいかず、新聞を『汚職記事から死亡記事にいたるまで』じっくり読む。真によき受験生は、社会情勢にも通じていなければならないからだ。
それで机に向かうころには夕方になっており、『夕食時には夕刊もきているし、肩のこらないテレビ番組もズラリ』とある。『ひとたびみればズルズルと三本はかるく見る』。
そんな自分にメガネ出っ歯はこう言い訳する。
『これくらいのレジャーは、いくら受験生だってゆるされていいだろう』
ブラウン管に映ったネズミ男が、『ホントよ』と加勢する。ダメな人がよくする自己正当化である。
やっと机に向かった受験生は、『全力を集中すべく……耳くそ、鼻くそなぞたんねんにとる。……これは精神を集中するために必要なのだ』とある。
私も原稿を書くべくパソコンに向かった途端、耳が痒くなったり、鼻がモゾモゾしたりして、耳くそ、鼻くそを丹念に取る。さらには手鏡で鼻毛をチェックしたり、眉毛の白髪を抜いたりする。そのあとマウスに手をかけるが、まずはフリーセルとスパイダーソリティアのゲームをせずにはいられない。原稿を書くのは苦行なので、その前のちょっとしたお遊び=レジャーは許されていいだろうと、自分に言い訳する。
それが終わっても、Facebookを覗いたり、ヤフーのリアルタイムでツイッターのエゴサーチをしたり、YouTubeで懐メロ聞いたり、Wikipediaで思いついた項目を調べたり、前に保存した写真を引っ張り出したり、トイレに行ったり、チョコレートを食べたり、体重を量ったり、ストレッチをしたり、挙げ句に本棚の整理、机の引き出しの片付け、絨毯の陰干し、熱帯魚の水替えまではじめて、ヘトヘトになる。
マンガの受験生も、準備万端調って、いよいよ本格的に勉強と相成るのだが、そのときは疲れて眠くなる。
『こんなことではいかん』と、自らの頭に鉄拳を振るうが、これほど疲れていては勉強の能率も上がらないし、身にもつかない。せっかくの努力が無駄になる。
そこで受験生は冒頭の一言をつぶやいて、布団に入るのだ。
『かくて貴重な一日は終わり、あすへとつづく。……あすはまたあすへとつづき、そのあくる日はまたあすに連なる』
さらに水木サンはこう書く。
『また、人生もこの受験生のようになにものかにおわれ、なにものかの準備で終わってしまうものである』
この真実にどう打ち克てばいいのか。
妙法はない。ただ頑張るのみ。ダメな自分を憎み、軽蔑し、叱咤する。必死にもがきながら、苦しみながら、這いずりまわり、カラカラに乾いたタオルを絞るようにして、なんとか原稿を書く。
そうやって頑張ると、ようやくわずかに原稿が進む。しかし、頑張れば頑張るほど、頑張らない人に優しくなれない気がしてくる。だから、あんまり頑張らんほうがいいと、自分に言い訳をして、ゲームなどで時間をつぶしているから、しなければならないことができないのである。
ちなみに、この痛烈な作品が掲載されたのは、『高3コース』である。
(「受験と人生」より)