【5】あなたは我々に飼われているということを、まだお気づきにならないのですか(奥多摩のカシコイ猫)

©️水木プロダクション

 主客転倒。

 知らぬ間に起こっていると、怖いことである。支配しているつもりが、実は支配されているのだから。

 戦乱の世が続き、人間がロクに食べられない時代、猫たちが生き抜くのは並大抵ではなかっただろう。ある種族が絶滅の危機に瀕したとき、英雄が出現するのは、人間も猫たちも同じらしく、人の言葉をしゃべる賢い老猫が、奥多摩に現れた。

 老猫は偶然・・、猫の言葉を解する男と出会う。男は自分が飼っている猫の三毛と共同で、猫語辞典まで作っていた。2人(?)は意気投合し、メガネ出っ歯の男は老猫の案内で、無数の猫が暮らす洞窟へと入る。

 集まった猫たちに『統領になって』とせがまれると、男は何千匹もの部下を得たと喜び、大儲けができるとほくそ笑む。

 老猫は器量のよい猫をペットとしてお城に送りこんでおり、その手引きで密書を手に入れていた。男がそれを敵方の大名に売りつけると、莫大な礼金が手に入る。男は喜ぶが、それも束の間、老猫にせがまれて大量の鰹節を買い、洞窟の猫たちに分配させられる。

 休もうとすると、次の密書を手渡され、それを敵方に売ると、ふたたび担ぎきれないほどの千両箱を手にする。しかし、くたびれ果てて、千匹の猫を飼うのは容易なことではないなとこぼす。

 すると、老猫は千両箱を自分の財産のように言い、『常に数十匹の人喰猫があなたの行動を監視していますよ』と脅す。男は逃げ出すこともできず、猫たちに同化して生きる以外にないのだと告げられる。驚く男に、老猫は冒頭の一言を放つのである。

 老猫との出会いは、偶然のように見えて、実は老猫の娘が男の元に送り込まれていたのだった。男が『道理で話がうますぎると思った』と気づいても、後の祭りである。

 猫を飼っているつもりで、猫に飼われている男。この話は、現代の健康を求める人々にも当てはまるような気がする。

 健康は大事だし、素晴らしいものである。多くの人がそれを求めるのは当然だ。しかし、好き放題に暮らしていたり、ボーッと年を重ねたりすると、健康は維持できない。栄養のバランス、適度な運動、十分な休養と睡眠、健康診断、がん検診、人間ドックと、いろいろしなければ健康は保てない。

 現代の都市生活は、やたらと時間と雑事に追われ、人間関係に苦しみ、ストレスがたまるのを避けられない。その憂さを晴らすために、酒、タバコ、ギャンブル、夜更かし、高カロリーの美食などにハマると、肥満、動脈硬化、糖尿病、肝臓病、肺気腫などの危険が高まり、健康から遠ざかる。不眠症や心不全もあるし、がん、うつ病、認知症などの恐ろしい病気もある。

 それを防ぐために、多くの人がジムに通い、ジョギングやヨガに打ち込み、サプリメントや健康食品を買い漁り、デトックス、アンチエイジング、美顔術に痩身術、育毛、増毛、皺取りに脂肪吸引と、老化に抵抗しつつ健康を求める。

 人によっては、1日の大半を健康の維持に占められているのではないか。テレビも新聞も週刊誌も健康情報にあふれ、どれが嘘やらほんとうやら、根拠があるのか、ないのかもわからない。

 健康とは、そもそも手段であるはずだ。それが目的になってしまえば、主客転倒。猫を飼っているつもりで猫に飼われる男同様、休むヒマもなく健康に追いまくられれば、健康のために生きているのも同然になってしまう。

(「ネコ忍」より)

→公認サイト「久坂部羊のお仕事。」へ戻る

タイトルとURLをコピーしました