【37】鬼太郎のばかーー!(科学者の息子・正太郎)

©️水木プロダクション

 私が小学生のころに読んだマンガは、『鉄腕アトム』にしろ、『鉄人28号』にしろ、『サイボーグ009』にしろ、常に勧善懲悪で、最後には必ず正義が勝った。それが当然だと思っていたから、最後にメデタシメデタシとならないマンガは、私に強烈な印象を与えた。『ゲゲゲの鬼太郎』の「おどろおどろ」の巻がそれである。

 大勢の子どもが失踪する事件が起こり、鬼太郎が調べると、髪の毛が伸び放題になった獅子舞のような妖怪「おどろおどろ」が、子どもたちの血を吸い、霊界輸送機で「霊界」に送っていたことがわかる。

 鬼太郎も不意を衝かれ、いったんは霊界に送られるが、先祖伝来のちゃんちゃんこと下駄の威力で現世にもどってくる。すると、そこは科学者の実験室のような部屋で、鬼太郎がおどろおどろと対決しかけると、瓜実顔の少年・正太郎が飛び込んでくる。

 おどろおどろは元々自分の父親で、毛生え薬の研究に没頭して、自ら実験台になり、薬品のせいで妖怪になったというのである。父親は超能力を身につけたが、人間の血を吸わなければ生きていけない身体になり、子どもの血を死なない程度に吸って、霊界に送っていたのだ。

 正太郎は事実を話して、父親と鬼太郎の戦いを回避しようとするが、おどろおどろになった父親はそれを受け入れず、『力の強いものが勝つ! これが真実なんだ!』と言って、髪の毛で鬼太郎の血を吸い取ろうとする。しかし、逆に鬼太郎に血を吸い取られ、おどろおどろはフニャフニャになって死ぬ。そのあと、鬼太郎が霊界輸送機を逆回転させると、子どもたちが無事にもどってくる。

 鬼太郎が『さ、妖怪は退治した。みんな帰るんだ』と言うと、家の前にひとり取り残された正太郎が、鬼太郎に石を投げつけて、泣きながら冒頭のセリフを叫ぶのである。

 それに対し、鬼太郎は怒りもせず、己の非を認めるように、『うむ……』と静かにうなずく。

 私は正太郎がかわいそうで、考え込んでしまった。子どもの血を吸い、霊界に送った父親はたしかに悪い。しかし、それは自ら研究の実験台になるという犠牲的な行動の結果であって、決して純粋な悪ではない。さらに事実を明かし、必死に戦いを回避しようとした正太郎の思いはどうなるのか。

 正義の味方が悪者をやっつけて終わりみたいなマンガの中で、この「おどろおどろ」は異彩を放っていた。悪にも事情がある。滅ぼされた側にも悲しみはある。その感慨は、正義の味方は嫌い・・・・・・・・だと思った最初の経験だったかもしれない。

 中学1年生のときに買った短編集『一陣の風』(サンコミックス)には、巻頭に尾崎秀樹(ほつき)が、「時代の妖怪」というタイトルで解説文を寄せていて、『日本へ来たドラキュラが住宅難に悩んだり、ネズミ男が失業して腹をすかせていたりするように、すべて庶民の日常感覚に直結して存在する』と、水木マンガの魅力の本質を言い当てている。(尾崎は一流の評論家で、あのゾルゲ事件に連座して処刑された尾崎秀美(ほつみ)の異母弟である。そんな大人・・が、まじめにマンガに解説を寄せていることに、13歳の私は大いに驚いた)。

 その解説文に、水木サンの言葉としてこう書かれている。

『近頃のマンガは砂糖の多すぎるお菓子みたいなものばかりだ』

 たしかに、常にハッピーエンドで終わるマンガやドラマは甘ったるい。友情とか、家族とか、優しさとか、勇気を称揚する物語も嘘くさい。水木サンのマンガは、この「おどろおどろ」の巻のように、ときに切なく、皮肉で、毒気を含んでいる。

 世間の多くの人は甘いお菓子を好むのだろうが、水木サンの作品のようなほろ苦い料理を愛でる人も少なくないだろう。この「冴えてる一言」を、ここまで読み進めてくれたあなたも、その1人かもしれない。

(ゲゲゲの鬼太郎「おどろおどろ」より)

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