【42】あなたは幸福の準備だけなさったのヨ(ある役人の妻)

©️水木プロダクション

 水木サンは後年、会員1人の「幸福観察学会」を立ち上げ、人間の幸福について探求を重ねた。人はだれしも幸福を求めて生きているが、果たしてほんとうに幸福になっているのか、というギモンが発端である。

 幸福になるには努力が必要だが、努力はつらい。幸福になるための努力は惜しまないが、無駄な努力はしたくない。そう考えるのは、私だけではないだろう。

「幸福のセールスマン」を自認するねずみ男が、営業用の紙芝居で、丸顔の農夫・芋吉に、幸福を求めるさまざまなパターンを紹介する。

『ある役人の場合』では、いかにも堅物そうな少年が、『将来の幸福のため』にガリ勉をして、『昌平校(大学)』に入って役人になる。友だちが遊びほうけていても、『将来、より多く幸せたらん』として彼は貯金をし、『幸せの基礎』である家を購入する。

 次に妻を娶るが、それは『家具と同様、幸福になるために必要なものである』からだと言い、結婚そのものを喜んだりしない。子どももできるが、『これも家具同様、ペットとして幸福にかくべからざるものである』と考える。いずれのコマでも、役人は自信に満ちあふれた目を吊り上げ、自分ほど正しい者はないという顔をしている。

 役人の口を借りてはいるが、水木サンの“結婚”や“子ども”に対する辛辣な目が光っている。両方とも人生の大きな喜びにはちがいないが、見方によっては、“家具”や“ペット”と大差はないという大局的な見方だ(ときとして、両者は家具やペット以上に厄介な存在にもなる)。

 子どもが成長すると、大学にやり、『これも老後を幸せにするために必要なことである』と、自己肯定する。

 次のコマでは白髪頭になった役人が、上等そうな布団にくるまり、『人生五十年の寿命を使い果たして臨終』となる。吊り上がっていた目は情けなく垂れ下がり、口元も虚ろにこうつぶやく。

『わしは少しも幸福ではなかった』

 それに対し、横に付き添った妻が冒頭の一言を告げるのである。すると、役人はこう呻く。

『味わうことをわすれていたのか』

 ねずみ男は、『よくある固い真面目な型だ』と解説する。

『ある事業家の場合』でも、ニキビ面の丁稚が、『私の場合は、成功することが幸福の目標だった』と独白し、『一日を大切にせよ』『精神一到なにごとかならざらん』と、努力に努力を重ね、世間的には成功者としての地位を築く。だが、手を広げすぎて、『幸福の甘き香り』を嗅ぐ前に寿命が尽きてしまう。

 これらの失敗を回避するためと称し、ねずみ男は芋吉に、幸福を得たのと同じ気分になる『天下もち』を与え、夢見心地になっている隙に財布を奪う。しかし、幸福紙芝居の熱演にもかかわらず、財布には三文しか入っておらず、『バカバカしい! 赤字だ』と叫ぶ。

『わしも天地がすぎゆかぬうちに、「幸せの甘き香り」がかぎたい……』

 ねずみ男が、そうつぶやきながら侘しく立ち去ったあと、水木サンは最後のコマにこう書く。

『誰もがほしがり、誰もがつかみそこねる幸福…………。それは、本当はないのかもしれない』

(「幸福の甘き香り」より)

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