【44】『悪』に対する免疫性こそ大政治家の資格です(書記のゴマ)

©️水木プロダクション

「こどもの国〈第二話〉」のタイトルは、「くさった国」で、身もフタもない現実が語られる。

 三太による理想クーデターで「こどもの国」を追放されたニキビに、ゴマが『土方でもしましょうか』と、意向を伺うと、ニキビは初っぱなから赤裸々な一言を返す。

「一度大統領をやった人間が、真面目に勤労なんかできるかい」

 アメリカの大統領も、何人かは心の中ではそう思っていたかもしれない。大統領にかぎらず、首相も大臣も院長や教授なども同様だろう。

 そこへカルダンことねずみ男が現れ、失脚したと聞くや、政権奪還などわけはない、『くさった政治』を行えばいいのだと入れ知恵をする。ゴマが『早速、くさった政治のデザインならびに御指導を』と求めると、ねずみ男は『かくし芋』の半分を要求する。

 ニキビが『人の弱みにつけ込んで……』とのけぞると、ねずみ男は『そんなことでおどろくようでは、立派な政治家になれませんよ』と諭す。すると、ゴマがしたり顔で『そうです』と同意したあと、冒頭の一言をのたまうのだ。

『「悪」に対する免疫性』とは、すなわち、良心の呵責のようなひ弱な・・・メンタリティを捨てるということだろう。世の中が善人ばかりだといいが、悪人すなわち、「悪」に対する免疫性を持つ人間が混じると、圧倒的に後者が強くなる。選挙にも勝つだろうし、カネも恋人も出世も名誉も手に入れ、人生のすべてに勝利する。

 しかし、それは近視眼的な勝利で、長い目で見れば、「幸福の甘き香り」をかげるとはかぎらない。多忙でストレスがいっぱいの「大政治家」になったり、節税でキュウキュウする富豪や、美女を手に入れたものの浮気や愛情の喪失を心配する色男、経営責任を追及される社長や院長になったりするより、慎ましやかな市井の人のほうが、はるかに幸福の時間が長いのではないか。

 三太が政権を取ったこどもの国では、無力なベビィたちが『芋の配給がふえたネ』と喜んでいる。『芋がどこかへ横流れしてたんだ』というわけで、今日もかくし芋の捜索隊が山に派遣される。

 実力者の3人が山へ入ると、ゴマが現れ、焼き鳥で3人を誘惑する。さらに焼き芋を与えてこう言う。

『おめえ達のように力の強い子供はよけいカロリーをとらにゃアいかん』

 それが『自然の理法』だと強弁し、3人が一心不乱に芋を食っていると、ねずみ男が現れて、巧みな弁舌で3人をオルグする。

『小さな弱いベビィが一日芋一個で、力の強いお前達も芋一個…。これが果たして真の平等かな? どうだ、お前達、毎日腹をすかしているだろう。それは政治が悪いからだ』

 3人が焼き芋を食べ終わると、すかさずゴマが芋あめを配る。

『ショクン! 芋あめはおいしいであろう。万一前大統領ニキビが政治を行えば、キミ達は毎日でもアメが食べられるのだ。なぜなれば実力に応じた新配給の方法を行うからだ』

 そこにニキビが登場し、前回の失敗を改め、『新実力者主義』でいくと宣言する。

 3人の実力者はその場で『太政大臣』、『左大臣』、『右大臣』に任命され、力の強い牛五郎には『副大統領』になってもらうと、牛五郎宛の親書を手渡される。ゴマは焼き鳥と焼き芋の“賄賂”を托すのも忘れない。

 ここで問題にされるのは、『真の平等』である。全員に同じものが配られると、それはある意味、平等だろう。しかし、働きに応じた分配にはならない。しっかり働いても、働かなくても、同じものがもらえる状況で、人はしっかり働くだろうか。全体の生産性を高めるためにも、働きに応じた分配は必要だろう。しかし、そうなると、弱い者や働けない者の取り分が不足してしまう。それを容認していいのか。

 そこで折衷案として、働きの少ない者にもある程度与え、よく働く者もある程度満足する配分を考えることになる。それが政治だろう。しかし、当然ながら、全員の満足を得るのはむずかしい。ヘタをすると全員の不評を買ってしまう。

 ニキビからの親書をもらった牛五郎は、『副大統領になれば芋がカマスに三俵自由に使えるようにするって、東京都議会の議長並じゃねえか』と喜ぶ。そして、自分は芋にこだわるわけではないが、弱い者を助けるのが政治だと思っている三太を、『固すぎるな』と、否定する。

 翌日、三太が、『小さなベビィを普通の子供のように働かせてはかわいそうだ』と、保育所の建設をみんなに諮る。ベビィたちは賛成するが、力の強い子どもに黙らされ、さらに力の強い子どもたちは三太に政権交代を迫る。

そこにニキビ、ゴマ、ねずみ男が登場し、国民投票を求める。三太が退去を求めると、ニキビたちは三太や弱い者たちを攻撃し、『三太さんこそ真の政治家よ』と発奮する女の子たちの応援も空しく、ニキビたちの第二革命が成就する。

 追放された三太のもとに、亡命したベビィたちがやってくる。配給される芋の少なさを、ベビィはこう嘆く。

「やたら官職ばかりふえてあそんでる人間が多くなった上に、実力者で勝手に芋を分配するようになったんだ」

 たまに市役所に行くと、この職員はただぼーっと座っているだけではないかと思える公務員がいる。公務員からすると、イチャモンに聞こえるかもしれないが、市民からはそう見えるのも事実だろう(私は若いころ、外務省で勤務したから、市民から見て意味不明でも、実務上、設置せざるを得ない役職があることは理解している)。

 そこへ大八車に山盛りの芋を積んだねずみ男が通りかかる。三太は、『真面目な人間が生きるためには、フハイ菌を一掃しなければいかん』と、ねずみ男を追いかける。ねずみ男は『理想主義者、まだ生きていたのか』と逃げるが、前方不注意のため、肥だめに落ちて窒息しかける。

 三太は奪った芋をベビィたちに配り、『くさった国』になり果てたこどもの国への攻撃を画するところで第二話は終わる。

(「こどもの国〈第二話〉くさった国」より)

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