【46】あんなものを子供に読ますから、あとになって世の中がわからなくなって苦労するんだ(方丈の庵に住む小坊主)

©️水木プロダクション

「神変方丈記」という作品は、ねずみ男の命を受けたメガネ出っ歯の忍者『タコ丸』が、方丈の庵に住んでいる丸顔の『小坊主』を亡き者にするため、『家のついた車』をプレゼントするところからはじまる。

 その車は、『「ゆりかごから墓場まで」という社会保障車』という触れ込みだが、実際は乗った者を閉じ込め、火葬まで保証する『霊柩車の術』の車である。扉の横には、その悪意を隠ぺいするために『青い鳥』のマークがついている。

 試乗を勧められた小坊主は、罠を疑って、『あなたからお先へどうぞ』と、タコ丸を先に乗せる。タコ丸が、『イヒヒヒヒ。世の中は甘くないね』と苦笑すると、小坊主は『裏には裏があるというみにくい世の中……』と応じる。タコ丸が善人を装って、『でも私たちはあの「青い鳥」の心で……』と猫なで声を出すと、小坊主はこう返す。

「うん、あの足もとに幸福があったとかいうアマイ話かい……」

 そして、冒頭のシビアな一言をつぶやくのである。

 メーテルリンクの「青い鳥」は、チルチルとミチルの兄妹が、幸福の青い鳥を求めてあちこちさまようが、結局、自宅の鳥かごに青い鳥の羽があったというお話である。だれもがニッコリ微笑む童話のはずが、世の中が自由で豊かになったために、勘ちがいをする人が増えて、「青い鳥症候群」などという言葉を生み出した。現実を見ずに、理想ばかり追い求める人々を指すらしい。

「青い鳥症候群」がいつごろから言われだしたのかはわからないが、「神変方丈記」の初出は1965年だから、水木サンのほうがはるかに早いだろう(テレビで「青い鳥症候群」というドラマが放映されたのが1999年)。

 この「青い鳥症候群」に陥った人々を、さらに惑わすのが、「幸福は足もとにある」という類の無責任で前向きなコメントだ。曰く、「明るい未来が待っている」、「希望の光、世界に伝える」、「君はひとりじゃない」、「絆と信頼、広がる支援」、「生きる勇気、命の力」等々。

 これらのコトバに触れると、無意識のうちに安心し、根拠もなく現実を楽観視してしまう。希望は必要だし、勇気を与えてくれるが、中には空しい希望や、甘えた人生観もあるだろう。それにすがるのがいいのか、悪いのか。

 医療でも同じことが言える。特にがんの治療。がんはある時期をすぎると、治療をしないほうが、QOL(生活の質)が保たれる場合がある。空しい希望にすがることは、いたずらに副作用に苦しみ、入院を余儀なくされ、したいこともできずに時間を無駄にすることになる。しかし、専門家やメディアが「医学の進歩」や「素晴らしい医療の発展」ばかりを喧伝するから、多くの患者が勘ちがいをし、いつまでも治療を求めて、貴重な人生の最後の時間を無駄にする。

 以前、東大病院でアンケートが行われ、「望ましい死を迎えるために、最後まで病気と闘うか」という質問に、がん患者のグループは8割が「Yes」と答えたのに対し、医療者のグループは8割が「No」と答えて、真逆の結果になった。患者は「治療」イコール「よいこと」と思い込んでいるが、医療者は「治療」イコール「やりすぎると怖い」ということを知っているからだ。

 マンガに話をもどすと、小坊主はだまされたふりをしてイモ吉に勝ちをゆずるが、それは小坊主の計略で、最後にはイモ吉がエンマ大王によっていずこかへ連れ去られる。

 こうなったらいいなと、夢のような希望にすがるより、しっかりと現実を見つめ、今できることに力を注ぐほうが有意義ということだろう。

(「神変方丈記」より)

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