【47】お通の白いももに思いをはせて、心にスキが生じたのである(ト書き)

©️水木プロダクション

 さて、【1】と【16】で取り上げた「新講談 宮本武蔵」は4話からなり、その第3話「人吉の一席」は、武蔵が思いを寄せるお通から、『人吉の旅籠でぜひお会いしたい』という手紙を受け取るところからはじまる。

 武蔵は指定の旅籠で待つが、お通はなかなか来ない。2階の窓からひんぱんに外を見ていると、軒に吊った蘭の鉢が落下して、武蔵の額を直撃する。『まぎれもないムラサキ色のコブ』ができ、気遣う宿の主人に、『ハハハハハ』と笑って見せたりするが、ト書きにはこうある。

『これほど剣豪の自尊心を傷つけるものはなかった』

 手鏡で忌々しいコブを見つめる武蔵に、冒頭のキビシイ一言が差しはさまれ、さらには『正に剣豪失格である』とダメを押される。

 宿の主人に、『そのコブはひっこむのに一カ月はかかりましょうぞ』と言われ、『ギョッギョッ』と驚く武蔵に、冷酷なト書きはこう続く。

「平凡なサラリーマンが電車のドアにはさまれて、コブをつくるのとはわけが違う。武蔵は剣豪である。わずかなヘマといえども減点されるのだ」

 ここで剣豪・武蔵に憧れる読者は、冷水を浴びせられる。平凡なサラリーマンであれば、苦笑ですまされるものが、剣豪であるがゆえに、大袈裟に捉えられ、減点の対象にされるという現実を意識させられるからだ。

 剣豪にかぎらず、有名人や社会的地位の高い人は、『わずかなヘマといえども減点される』宿命を負っている。美人女優は気軽に鼻クソもほじれないし、オナラなどもってのほかだ。人から“博識”と見なされている教授は、めったなことでは「知らない」と言えない。プロのスポーツ選手は素人の前で失敗が許されないし、有名シェフは毎回、絶妙の料理を出さなければ、あとで「大したことないな」などと軽んじられる。

 さらに冷酷なト書きはこう書く。

『武蔵はあまり女にもてるほうではなかったから、お通の熱がさめはしないかという恐怖心は、武蔵をしてコブの早期治療へと専心せしめた』

 宿の女中に、『お武家さん、コブには大根おろしが一番だぞナ』と教えられた武蔵は、人払いをしたあと、大根おろしをごっそり箸でつまんでコブに載せ、『コブにしみわたる大根おろしのむずがゆさ』に耐えつつ、鏡とにらめっこをする。剣豪にあるまじき滑稽な姿だが、元はと言えば、剣豪であるがゆえのコッケイさでもある。

 そうこうするうちに、コブが治癒しないまま、お通が武蔵を訪ねてくる。主人から報せを受けた武蔵は、コブに大根おろしを載せたまま、『ナニッ』と絶叫する。そして、『そんな者はいないと申せ』と、苦渋の返答をする。

 ト書きは、『恋愛の感情と、透徹した人生観は一致しないものと見えて、武蔵はあわてた……』と書く。武蔵は『スキのない剣豪として、お通の心の中に存在したかったのだ』とあり、二階の障子に穴を開け、寂しそうに去っていくお通を見送る。見栄を張って、せっかくの恋愛成就のチャンスを棒に振るわけだ。

 見栄と実利。どちらが大事か。

 私なら手もなく実利を取る。見栄とは所詮、他人に依存した自己満足で、虚像にすぎないからだ。虚像がバレれば、実際以上に貶められたりする。バレないように算段しているうちに、実利を失ってしまう。

 見栄は上昇志向とセットである。剣豪のつらい立場を通して、水木サンは上昇志向に警鐘を鳴らしているように私には思える。

(「新講談 ──それからの武蔵──「コブ」宮本武蔵・人吉の一席」より)

タイトルとURLをコピーしました