水木プロのアシスタントには、奇抜な人間が多かったらしい。それは、水木サンが絵のうまさより、『面接して「変わっとる!」と思うと採用してしまうことがしばしば』(『ねぼけ人生』)だったからだ。
中でも『豊川』というアシスタントは、そうとうな問題児だったようだ。朝起きて顔を洗うたびに洗面台をビショビショにしたり、先輩アシスタントのつっかけを無断で履いたり、さらには雇い主たる水木センセイのつっかけまで履き荒らしたりする。
水木サンが別のアシスタントの北山に、『安物のつっかけ、彼のために買ってきて』と命じると、ふだんから豊川の行状を腹に据えかねていた北山は、『新人のアシスタントのために、ぼくがわざわざ買いに行くのですか』と不平を洩らす。すると豊川は、『きみがたのまれたんだ。行くべきだ』とうそぶいて、タバコの煙を吐きかけ、さらに相手を怒らせる。
豊川は17歳で二科展に入選して新聞にも出たことが自慢で、また口が達者なので、議論になると先輩アシスタントたちが軒並み言い負かされてしまう(一部『ねぼけ人生』による。同書では『十九歳で美術文化展に入選した経歴をホコリ、文学書もよく読んでいて、天才モドキだった』とある)。
そんな彼が、朝、トイレから出てくるなり、『フーッ』と水木サンにタバコの煙を吐きかける。水木サンがムッとして、『朝起きてすぐ煙草吸うの、悪いんじゃない……。長生きできないよ』と注意すると、豊川は『長生き?』と聞き返したあと、冒頭のセリフを吐くのである。
一般に長生きは望ましいものだから、この豊川の態度はいかにも太々しく感じられる。本作「ドブ川に死す」の初出は1973年で、まだまだ長生きがよいことだと思われていた時代だ。しかし、現代はどうだろう。
だれが言いだしたか知らないが、「人生100年時代」と言われる今、その真に意味するところを理解している人は、どれだけいるだろう。新聞の人生相談の回答などには、高齢者に向けて、「人生100年時代なのだから、まだまだ」などと、無責任な励ましも見られるが、この言葉の真意は、「100歳まで生きられる」ではなく、「100歳まで死ねない」時代と考えるのが現実的だ。
私は長年、高齢者医療の現場にいて、100歳近くまで死ねなかった患者が、どれほど苦しい余生を生きているかを目の当たりにして、適当なときに人生を閉じることの必要性を痛切に感じている。もちろん、100歳でも元気な人はいる。しかし、それは宝くじで5億円当たる人がいるのと同じで、ごくごく少数の極めて幸運な人のみの話だ。
生活環境が改善されたおかげで、かつての高齢者より今の高齢者のほうが若々しいのは事実だが、人間の品種改良が行われたわけではないので、90歳を超えたあたりで、ほとんどの人がさまざまな老化現象により、日常に不自由を強いられる。私がかつて在宅医療で診ていた92歳の肺気腫の女性は、息も絶え絶えになりながら、こう言った。
「先生、わたし、若いころ、毎朝、体操をしたら、長生き、できると、聞いて、一生懸命、やったんですけど……、あれが悪かったんでしょうかぁ」(最後は振り絞るような訴え声)。
少子高齢化で若者が減るにも拘らず、高齢者がなかなか死ねないのが、「人生100年時代」だ。要介護者が施設や病院や家庭にあふれ、高齢者は十分な介護を受けられず、若者は終わりの見えない介護に倦み、国全体が疲弊する。
私事ながら、私の父は85歳のときに尿閉(尿が出なくなる状態)になり、私が診察に付き添うと、前立腺がんであることがわかった。泌尿器科の医師が病名を告知すると、父は、「そうですか。ほんなら長生きせんですみますな」と、心底、嬉しそうな顔をした。医師は驚いて治療を勧めたが、父はせっかくがんになって死ぬ目途が立ったのに、治療なんてとんでもないと拒否した。父も元医師なので、90歳とか100歳まで長生きしたら、どれほど苦しいかを知っていたのだ。
そんな今、冒頭のセリフを吐いた問題児の豊川は、先見の明があったと言えるのかもしれないが、彼がタイトル通りの結末を迎える経緯は、次回ということで。
(「ドブ川に死す」より)