変身願望。
自分以外のだれかになりたいと願ったことのある人は、少なくないのではないか。物事が思い通りにならなかったとき、あるいは別のだれかが成功にありついたとき、または自分が不運に見舞われたとき、人は自分がイヤになり、自分より幸運なだれかと入れ替わりたいと思うだろう。
短編「管狐」では、電車に揺られながら、メガネ出っ歯のサラリーマンが退屈まぎれに内心で嘆く。
『こうして毎日働いても、女にはもてないし……金もない。その上、頭も悪いせいか、だれもぼくの存在を認めてくれない。俺なんか、いたっていなくったって……』
すると、横で新聞を広げていた『狐に似た人』が、『あんた、そうひがんだりするもんじゃないよ』と、声をかける。メガネ出っ歯が『あなた、どなたで?』と聞くと、『それ、そこの大根山の管狐だよ』と答える。
「管狐(くだぎつね)」とは、伝承上の憑きもので、狐憑きの一種とも言われ、竹筒に入るくらいの大きさであるところからその名がある。
翌日、メガネ出っ歯が油揚を持って稲荷神社を訪ねると、『狐に似た人』=管狐が床下の穴にいて、『分かっておる。貴君の欲求不満についてじゃろ』と、他人に入れ替わるチャンスを与えてくれる。
まず望んだのは会社の社長である。金持ちの上に、美しい愛人もいるからだ。
管狐が『くるくるくる』と術をかけると、メガネ出っ歯はハゲで髭を生やした社長に入れ替わっている。そこはホテルの一室で、全裸の愛人がベッドで待っている。
『なんだ、白昼行われていたのか』と感心しながら、行為に及ぼうとするが、社長は不能で、愛人に『手を切らしていただきますわ』と言われる。社長は『もう長くないんだ。墓場までつきあってくれ』と、高額の手当要求を受け入れざるを得ない。
そこに社長の妻が乗り込んできて、離婚を突きつける。社長が『子どももいるし、社会的にまずいじゃないか』とうろたえると、専務らしい部下が現れ、取引先が不渡りを出し、組合がボーナス闘争をしているので、倒産の危機だと報告する。さらに持病の『リュウマチ』の発作に襲われ、激痛に苦しみながら寝込んでしまう。
そこに管狐が現れ、『どうだ、たのしかったか』と聞く。
『とんでもない。ぼくは健康な体の人の中に入りたい』と答えると、『そうか、よし』と、今度は『くず屋』になり代わる。
『健康といえば、健康な気もするな』
そうつぶやきながら、紙くずを集めにかかると、生活に疲弊しているような主婦と紙くずの値段でもめ、チンピラが出てきてボコボコにされる。家に帰ると、ふだんの暴力の仕返しとばかりに、鬼のような出っ歯の妻に洗濯板で殴られる。
管狐が出てきて、『どうだ』と聞くので、男は『いくら健康でもこんな生活ってのはやりきれませんな』と、次は『町の政治家』になることを希望する。
町会議員らしい男になると、町は折から「糞尿処理場問題」で揺れており、興奮した反対運動の市民に、糞尿を浴びせかけられる。
そこで糞まみれになりながら、メガネ出っ歯は冒頭の一言を叫ぶのである。
『どうかしましたか』と、横にいた狐に似た人に尋ねられ、メガネ出っ歯は一連の出来事が夢だったと知る。
ラストのコマに、水木サンはこう書く。
『世の中に、果たして満足しながら生きている人ってあるのだろうか。横に座っている狐に似た人が、ぼくに夢で教えてくれたのかもしれない……』
だれしも不満を抱えて生きている。他人を羨んでも、その人にはその人なりの苦難がある。足を知る者は満ち、貪る者は飢える。不平不満は、忘れるに限る。
(シリーズ・日本の民話「管狐」より)