油断のならない世の中。
悪い人やズルい人が、いかにもそれらしい顔をしてくれればいいが、そういう人ほど善人面をしていることが多いので困る。
神社で丸顔の少年スリが、『金のありそうなやつ』を物色していると、高貴な紋様の尖り靴を履いたネズミ男が、ソロリソロリと境内を歩いてくる。スリはその異様な服装と、優雅な歩きぶりに、『きっと天ジュク(印度)あたりの観光客だろう』とアタリをつけ、フラリと近づく。もちろん、フトコロを狙うためで、何気ないそぶりで『ドスン』とぶつかる。
そこに冒頭の一言がト書きとして添えられる。
スリはナイーブな顔をしつつ、本心ではサイフを狙っていたが、狙われたネズミ男もまた、無防備な金持ちに見せかけてスリの腕をしっかりと掴んでいるのである。
『いったん俺のフトコロに入った手は俺のモノだ』と、スリの手にかぶりつこうとする。スリは慌てて、『このままにしておけば、まだ五十年は使えます。……それにスリとしてはいい腕です』と、助命嘆願する。
スリが腕を買いもどそうとすると、『千両だ』と言われ、『アメリカ並みの値段だな』とあきれながらも、交渉の結果、腕を貸してもらうことになり、スリは『私の体の中にあなたの植民地があるような気持ちでたいせつに使用させて頂きます』と、ネズミ男の手下になる。
このとき、ネズミ男が持っていたのは『空のサイフ』で、スリがその場に捨てたあと、拾おうとした二人の侍が決闘騒ぎを起こし、そのあと拾ったメガネ出っ歯の商人は、大店の主人だったのが、サイフを拾ってから没落して、三年で『しがない行商人』にまで落ちぶれる。
ふたたびスリがそのサイフを拾おうとするうと、ネズミ男が止める。『そのサイフを持っているあいだ、ロクなことはなかったのだ』と言うと、スリは『近代的なおめえの発言にしちゃア、少々クラシックだナ』と、無視しようとする。ネズミ男が、『バカ、捨てろ』とビンタを見舞うと、倒れたままのスリが冴えた一言を発する。
「そんな不合理なこといったって、頭のいい子に通じるかよ」
たしかに、最近の子どもは頭がいい。だから、夢とか理想とか正義が通じにくい。
医学部の学生でも、患者の命を救うために、すべてをなげうつのが医者の使命だなどと考える者はまずいない。医師免許を得て、内科や外科や小児科や産婦人科に進むと、多忙で重責のわりに収入は少なく、残業や緊急の呼び出しも多く、医療訴訟のリスクもあり、死にたくない患者や家族に振りまわされ、針刺し事故で肝炎ウイルスやエイズウイルスに感染する危険性も高いことを知っている。だから勢い、あまり患者が死なず、緊急呼び出しも少なく、開業すれば患者確保も楽な科に進む。当然といえば当然で、見合った対価(報酬だけでなく、感謝や敬意や信頼など)を用意しなければ、重要な科に優秀な人材が集まらないことになる。
マンガではネズミ男に命じられて、スリがサイフの底を調べると、貧乏神が潜んでいることがわかり、スリは悲鳴をあげてサイフを池に捨てて物語は終わる。
「頭のいい子」に話をもどせば、今の優秀な人材は、子どものときに勉強でさんざん苦しめられているので、単純に世のため人のために尽くすなどという素朴な発想を抱きにくい。苦労に見合う高報酬を与えるか、でなければ“天下り”とか“接待”“忖度”“謝礼”などの旨味が必要ということだ。その現実を認めずして、理想的なスローガンを口にしても、水は高きには流れないのである。
(「空のサイフ」より)