【7】だがナンダカ族は我慢しない(ナンダカ族の若者)

©️水木プロダクション

 我慢はつらい。

 しかし、日本人は戦時中、「欲しがりません勝つまでは」をスローガンにしていたように、我慢が好きな人が多い。

 私は子どものころから我慢が嫌いだった。できるだけ楽をして、自由に暮らしたかった。それはごく自然な発想だろう。

「ナンダカ族」は、『ガロ』版の『鬼太郎夜話』に登場する人物で、長髪に無精ひげ、サングラス、派手な水玉服に赤いスカーフという奇抜なスタイルの若者である。

 鬼太郎が喫茶店でくつろいでいると、横に座り、コーヒー5杯とケーキ20個を頼んで、ひとりで食べはじめる。鬼太郎が、この人ずいぶん楽しむなあと感心し、『ケーキをひとかけらいただけないでしょうか』と頼むと、『それはこまる。……人がどうなろうと、僕のタノシミをビタ一文も譲れない』と答える。その一言で、鬼太郎はこの若者が、今はやりのナンダカ族なのではと気づく。

 しかし、ナンダカ族とは何なのか。

 鬼太郎のその疑問に答えるため、若者は鬼太郎を外へ連れ出す。ショーウィンドウの前に立ち、『このウインドの中ものがほしかったとする。その時、普通の人間は我慢する』と言ってから、若者は晴れ晴れとした手ぶりで、冒頭の一言を叫ぶのである。

 これは究極の自由と奔放である。

 我慢をしないナンダカ族は、店内に入り、目指すベレー帽を手に取って、金を払う。鬼太郎が、『なんだ、当たり前のことじゃないか』とあきれると、若者は、『金とヒマのない奴はナンダカ族になる資格はないぜ』とうそぶく。

『だが金のかからぬたのしみもあるぜ』と、鬼太郎を誘惑し、駅のホームで電車を待つ人を後ろから突き落としてみろとそそのかしたり、夜道で女性を脅かして、若者が財布を抜き取る手助けをさせたりする。鬼太郎が、『おまえはスリだろ』と詰め寄ると、若者はこう答える。

「スリ? ……に似たようなものだがその精神は大いにちがう。大衆が汗水たらして働くその汗の結晶、すなわちエキスだけを吸い上げる仕事。いわば資本家と同じく高級な仕事だ」

 ここに資本家の一側面が喝破される。

 若者は、はじめに分け前をやると言っておきながら、鬼太郎には1円もよこさない。鬼太郎が不平を洩らすと、君はタダでスリルを満喫したじゃないかと言いながら、またも冴えた一言を口にする。

「考えてみたまえ。スリルを味わうためにわざわざ、なだれの下敷きになるために山へ登る青年だって日本には多いんだぜ」

 山を愛し、登山を健全なスポーツだと考える向きには不愉快だろうが、これもまた一面の真実だろう。

 ナンダカ族の若者は、狡くて、がめつくて、屁理屈がうまく、邪悪で、徹底した快楽主義的である。サイコパスは往々にして人間的魅力に富むといわれるが、このナンダカ族も魅力的だ。水木サンはそう描いている。だから私は惹かれたのだが、当然、そのままではすまない。自由奔放な享楽主義者には、苦い敗北が用意されている。

 ナンダカ族に搾取された鬼太郎は、深夜、深大寺のフキ畠の中で行われる妖怪たちのスキヤキパーティに、若者を連れて行く。興味津々でスリルを楽しもうとしていた若者は、本物の妖怪に取り囲まれ、冷や汗びっしょりになって、鬼太郎に百万円の貯金通帳を渡して、命乞いをする。

 逃げ出して気絶したあと、彼は原っぱの地蔵堂の前で目覚める。妖怪パーティは夢だったのか、お化けなどいるはずがないと、強がりの笑い声をあげるが、貯金通帳がなくなっていることに気づき、昨夜のことは実際にあったと知って、ふたたび冷や汗を流しながらこう呻くのである。

『俺ァ世の中が信じられなくなってきた』

(『ガロ』版『鬼太郎夜話』より)

→公認サイト「久坂部羊のお仕事。」

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