自由で安全で豊かな日本。しかし、イジメやリストラ、虐待や格差社会など、ストレスのタネも尽きない。そんな現実の中で、我々の心臓は、正常に鼓動していると言えるだろうか。
『不思議シリーズ』に収録された「我が方丈記」は、冴えた一言の宝庫である。
五十歳をすぎて失業中のメガネ出っ歯・山田は、『オレの一生は、何かに追われるような一生だったナ』と述懐しながら、同じく失職中の友人を訪ねる。すると、友人は『清貧の思想』を読んで悠然と構えている。男が感心すると、友人はこうつぶやく。
「無能をカムフラージュするにはいい本だと思ってネ」
この作品が発表された当時、巷では中野幸次著の『清貧の思想』が好評を博していた。水木サンはその隠れた一面を喝破している。友人に感化された山田は、『残された人生をアクセク暮らすのはもうごめんだ!』と叫び、鴨長明よろしく山奥に方丈の庵を作って住むことにする。
その決意を告げられた現実派の妻は、鼻息荒くこう怒鳴る。
「あんた、このピンチに少年みたいな事いって、許されると思ってるのーっ!」
それでも山田は『簡素に暮らし、心豊かに生きる…これだよ』と、『清貧の思想』から得た知識を唱えて決意を変えない。妻はその本を手に取り、『これがバイブルらしいわネ』とあきれる。山奥に小屋を建て、移り住んだ山田が、『自然はいいなァ』とリラックスし、雑木林を散策しながら、冒頭の一節をつぶやくのである。
しかし、当然のことながら、「風雅な生活」は長続きしない。ほとんど断食のようになり、這々の体で家に逃げ帰る。『オレ、一カ月の風雅生活でヘトヘトになったんだ』という山田に、妻が強烈な一言を放つ。
「そうでしょう。“清貧”と“赤貧”はちがうのよ」
さらに続ける。『“清貧”というのは、貧しいふりして小金持ってるのよ』『あんた、本は読むだけのものということがわからなかったの?』『芸術文化っていうけど、一種の新興宗教みたいなものよ。それを見たり聞いたりして、一時的に妙な気分になるだけのことよ』
シビアなリアリズムのオンパレードに、思わず冷や汗が流れる。
それでもあくまで風雅な生活に固執する山田が、家を飛び出して喫茶店に行くと、現実に目ざめてタコ焼屋なった友人に、我々はモグラと同じ“赤貧階級”だと諭される。
『“清貧の思想”なんてラクな生き方はないのかナ』と訊ねると、友人は『あれは文字だ』と言い捨て、さらに言い足す。
「大学の先生なんかが好んでもて遊ぶのヨ」
そして、『世の中にはバカが多いから、ついうっかり乗るのだ…』と付け加える。
ここに水木サンの冷徹な目が光っている。きれい事にうっとりするのもいいが、それでは現実は何も変わらないという、あられもない事実に向き合う強さである。
(『不思議シリーズ』第8話「わが方丈記」より)