【29】世の中のやつはどん欲なやつほど無欲ぶるのですよ(土方歳三)

©️水木プロダクション

 新撰組がその名を高めた「池田屋事件」の直前、長州藩士らの密会の場が、「池田屋」ではなく、「四国屋」かもという情報が入る。土方が『では、四国屋で勝負しますか』と聞くと、近藤勇は顔をしかめてこう言う。

『またとない手柄の機会。大魚逃がしてはなるまい。古来、英雄豪傑が欲が深いように、俺は生まれつき欲が深いんだ』

 二手に分かれて出撃し、池田屋に行った近藤が大活躍するわけだが、こううそぶく近藤は、実はさほど貪欲ではない。

 なぜなら、事件後、守護職の会津候から、数百両の下賜金と、近藤を「与力上席」にするという内示があったとき、背中を丸めて、『トシやん、「与力上席」だとよ。うふふふふ』と喜ぶからだ。

 これに対し、土方歳三はムッとしながらこう返す。

『近藤さん。悪いけど僕は喜べませんね。池田屋であれだけ活躍したのに……少し自分を安く売りすぎゃしませんか……』

 近藤が与力上席なら、土方以下は岡っ引きぐらいにしかならないから、新撰組としてはとても受け入れられないと突っぱねるのだ。それを聞いて、近藤は『ギャフン』とヘコまされる。

 守護職にもう一度、掛け合ってくるという近藤に、『そんな下手な交渉しちゃあだめですよ』と土方は言い、『(自分は)尽忠報国の士ですから、別に官職はいりませんというふうに、いかにも物をほしがらないようにいうのです』と、指導する。

『そんなこといって大丈夫か』と不安がる近藤に、土方は冒頭の冴えてる一言を発するのだ。さらに続けてこう言う。

「そして一番よけい物を取るものです」

 何という真実か。ふだん欲が深そうに見える人は、単に浅はかなだけで、目先の利益に弱いので、取り分は少ない。真に貪欲な者は、ガツガツしない。無欲に見せている者ほど、実は貪欲であるというのは、本人が気づいているか否かは別として、大いにあり得ることだ。

 冷徹な土方の指導は、これに止まらない。近藤がさっそく守護職に断りに行きかけると、それを制し、威厳を保つため、今後は平隊士と遊びに行くのはやめて、休憩所という名目で妾を持ち、新撰組隊長としてイメージアップをはかるよう助言する。近藤はそれに従い、守護職や所司代に通うときには、白馬に乗って、鎗を持った供を従えるようになる。

 土方は、芹沢鴨を暗殺して、自分たちが主導権を握ったあとにも、近藤にアドバイスをしている。正真正銘の新撰組局長になったのだから、『もう少し威厳をもっていただかないと……』というわけだ。

 素直な近藤が、『こうか……』と、ふんぞり返ると、土方は『もう少しアゴを心持ち引いて……なんとなく重々しく……、隊員に神秘的な威圧感を与えてほしいのです……』と指導する。

 困惑する近藤に、土方は『一つの集団をとりまとめるのはたいへんです。長ともなれば演技してもらわねば困ります。近藤さん、形が大切ですよ』と諭す。

 首相、社長、教授に有名人ともなれば、相応の演技が必要だろう。尻がかゆくても、鼻クソをほじりたくても、人前では悠然としていなければならない。逆に、うまくやっている「長」のつく人は、演技が上手ということである。

 この知力あふれる戦略家である土方が、『星をつかみこそねる男』では、ヌボーとした芋のような顔に描かれているところに、水木サンの慧眼がある。

 土方歳三は肖像写真が残っているので、シブイ二枚目のイメージが強い。しかし、実際の土方は、いつもあんな二枚目顔をしていたわけではあるまい。芋のような顔の土方が言うから、よけいに冴えた一言が際立つのだ。

 ボーッとしているように見える人間の中にこそ、冴えた実力者が潜んでいることを、水木サンは見抜いていたのだろう。そう言えば、水木サン自身も、特別、冴えた顔ではなかった。満員電車に乗っていたら、すぐには見分けられないフツーの顔だ。

 優れた人物が、常にベートーヴェンや美輪明宏のように、濃い顔をしているわけではないのである。

(『星をつかみそこねる男』より)

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