【31】ただ、あるのは犬や猫と同じように、なんとなく死にたくないという気持ちだけだった(ト書き)

©️水木プロダクション

 さて、いよいよ近藤勇の最期の場面である。

 坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺されたころ、近藤勇以下、新撰組は正式に旗本に採り上げられ、近藤は六百石の徳川直参となる。ところが、大政奉還、王政復古の大号令と続き、雲行きが怪しくなる。

 近藤は不安げにつぶやく。

『あこがれの旗本になったが、どうも様子がおかしい。大切なリンゴを手に入れたとき、そのリンゴが腐っていたとしたら……

 似たような状況は、医療界にもあった。私が研修医だった今から40年ほど前は、医学部の教授と言えば雲の上の存在、富と名誉と権力の象徴だった。だから、多くの研修医が我こそはと、教授の椅子を目指して刻苦勉励した。

 ところが、我々の世代が教授になるころから、医局制度が崩壊しはじめ、製薬会社の接待がなくなり、患者さんからの謝礼がなくなり、世間の医療不信が高まって、富と名誉と権力を失った。さらには研究費と医局員集めに汲々とし、医療事故や論文不正などが発覚すれば、マスコミの前で平謝りに頭を下げなければならない役職となった。今、医学部の教授職を“大切なリンゴ”と思っている教授は、ほとんどいないのではないか。

 かく言う私も、さんざん遠まわりをしてやっと物書きになったが、電車の中でだれも本を読んでおらず、スマホをいじる人ばかりなのを見ると、似たような感慨を持つ。どうも様子がおかしい。“大切なリンゴ”を手に入れたのに……と。

 話をもどすと、すでに鳥羽伏見の戦いで幕府軍は敗退し、将軍慶喜は部下を残したまま、敵前逃亡するように大阪から江戸にもどり、上野の寛永寺で謹慎する。留守を預かる勝海舟は、江戸城明け渡しの妨げとなりそうな血気盛んな新撰組を江戸から遠ざけるため、近藤を甲府城を守る甲陽鎮撫隊の長に命じ、譜代大名並の「若年寄格」に任じた。

 近藤は『たなからぼたもちとはこのことか……』と喜ぶが、同じく「寄合席」(三千石以上の旗本並)に任じられた土方歳三は、『まさかおいらが鈍感で、時代の流れの逆をいってるわけでもあるめえ』と、不安を洩らす。

 その不安は的中し、甲府城は早々に官軍に攻め落とされ、志願した兵たちは逃げてしまい、試衛館以来の同志である永倉新八、原田左之助とも訣別して、残るは土方と少数の隊士のみとなる。

 近藤は彼らと下総流山に立て籠もるが、まだ戦をあきらめていない土方は、部下に気合いたっぷりの訓練を施す。

 それを見た小間使いの小六が、近藤に言う。

『もう時代の大勢が決まりかけているときに、土方さんみたいに元気があるのは異状ですよ。何か勘違いしてるのじゃないでしょうか』

 ドラマやスポーツの世界では、どんなに状況が不利でも、最後まであきらめないことが美談とされ、奇跡的な勝利を掴むことが多いが、現実はそうはいかない。

 官軍に包囲された近藤は、イチかバチか、土方らを逃がす時間稼ぎをしてから、『大久保大和』と名乗って、官軍に投降する。近藤を恨む土佐藩士から、『「大久保」、おまえ「近藤」だろう』と詮議されても、『イチャム(勇)だなんてムチャです』ととぼけるが、面が割れて、ついに斬首の刑を宣告される。

 近藤が打ち首になる前、役人から小柄を借りて、伸びていた髭を剃ったというエピソードは有名だが、永倉新八の『新撰組顛末記』や、子母澤寛の『新撰組始末記』によれば、役人に月代と髭を剃らせたとある。いくら小柄でも、剣客・近藤に手渡すのはさすがに危険だろう。晒し首になるのはわかっているから、少しでも見苦しくないようにというのは、近藤の最後の見栄、あるいは身嗜みだったのかもしれない。

 近藤の最後のようすは、「じつに俎上の鯉のりっぱな武士であった」(永倉新八『新撰組始末記』)とか、「おいらの人生は勝ち越しだと思うよ。楽しかったなあ──」(黒鉄ヒロシ『新撰組』)などと描かれるが、『星をつかみそこねる男』では、こう描かれる。

 小柄で髭を剃り終えた近藤に、介錯人が『では』と、刀を構えると、目を閉じ、口を一文字の閉じた顔面に、たらたらと冷や汗が流れる。

 そして、ト書き。

『残さなくてもいいような、負け惜しみめいた詩を残してはみたものの、それで気持ちがサッパリするわけでもなかった』

 そのあとに、冒頭の一言が続くのである。

 どんな偉人でも、成功者でも、幸せ者でも、善人でも、最後は死ぬ。自分の人生はこれでよかったと、いくら自己肯定してみても、正直な感慨はやはり、「犬や猫と同じよう」なものではないだろうか。

(『星をつかみそこねる男』より)

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