【62】ボクはそういう苦しみに満ちた人生のレースに参加したくないのだ(メガネ出っ歯のフーテン)

©️水木プロダクション

 あろうことか、受験生が読む『高3コース』に、受験生が勉強できないカラクリを解き明かすような短編を描いた水木サンは、大人への成長に戸惑う17歳が読む『高2コース』にも、これまた人生の絶望を突きつけるような短編を描いている。

見開きの2ページの「ある『フーテン』の思想」である。そこには人生の空しい6段階が描かれている。

 まず最初は『誕生』。『フギャー』と生まれて、真新しい人生のローソクに火が灯される。

 2番目は『ガリベン』で、机にかじりついた少年は、母親に『どうしても「生活安定大学」に入るのよ』と発破をかけられる。

 3番目は『結婚』で、早くも『空想と現実の違い』に気づかされ、メガネ出っ歯の夫は妻をなじり、丸顔の妻は、『あなたがこんなバカな男だとは思わなかったわ』と痛烈な一言を投げ返す。実に耳の痛いことである。

 4番目は『中年』で、『あくせく働いているのに、めしのおかずもないじゃないか』とぼやくと、妻は、『将来の幸福のために貯金してるのよ』と悪びれもせずに言う。これも抵抗しにくい一言だ。

 5番目は『老年』で、老いたメガネ出っ歯が、『物価上昇』と書いた新聞を読みながら、『人生を楽しもうと思った老齢というものが、こんなに楽しみもなく、日暮れのように淋しいものとは思わなかったなあ。それに高血圧になって、明日にでも死ぬのではないかと思うと、おちおち眠れもしない』と慨嘆する。ト書きには『きびしい死との闘い』とある。

 そして最後、6番目は『死』だ。老妻が大八車に轢かれた息子の交通事故を告げに来ると、傍らの医師が『おしずかに。御臨終です』と告げ、メガネ出っ歯は『ガフー』と末期の息を吐く。『苦しみのうちにローソクの火は消える』のである。

 なんと空しく、惨めで凡庸で憂うつな一生であることか。

 ラストのコマに、橋の下に寝そべるメガネ出っ歯の『フーテン』が登場し、腕枕をしながら冒頭の一言をうそぶくのである。さらにこう続ける。

『いや、そうした人生より違った生き方があるような気がするのだ……』

 中学1年生のときにサンコミックスに収録された本作を読んで、私は大いに共鳴した。

 そもそも“ふつう”が嫌いで、とにかく人とちがうこと、変わったことを好んでいた私は、有象無象の同級生や世間の中に投じられ、ブロイラーか養殖マグロのように追い立てられることを、精神的に拒絶していた。もっとちがう生き方、ユニークで、個性的で、新機軸のライフ・モデルがあるはずだと思っていた。具体的なヴィジョンはないが、とにかく“風変わりな人生”に憧れていた。

 だが、貴族でも天才でも銀のスプーンを咥えて生まれてきたわけでもない私は、特別な天の配剤に与れるわけもなく、むかしで言えばもう十分老齢なのに、未だにあくせく日々の努力に喘いでいる。

“ふつう”のありがたみも、今は身に染みてわかってはいるけれど。

(「ある『フーテン』の思想」より)

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