【03】名前なんて一万年もすればだいたい消えてしまうものだ(水木しげる)

©️水木プロダクション

 世の中には、有名になりたいと思っている人も多いだろう。

 有名になれば、みんなからチヤホヤされて気分もいいし、自分というものに満足もできる。有名になって名を遺せば、子孫からも尊敬されるし、生まれた甲斐もあったと思えるにちがいない。

 子どものころの私がそうだった。

 しかし、有名になるためには、努力が必要だ。努力は苦しい。苦しいがそれを続けるのは、ひとえに“成功”という勝利をつかまんがためである。私はそう思って、苦しい努力を続けていた。

 しかし、ほんとうにそれは苦しむ値打ちのあることだろうか。漠然と有名になることに憧れていたが、その価値に根拠はあるのか。

 いや、ゴッホやベートーヴェンやパスツールは素晴らしいじゃないか。子どものころはそう思っていた。

 だが、水木しげるは「偶然の神秘」の冒頭にこう書いている。

『世の中も自分自身も、まったく思うようにならないものである。それはこの世に生まれてきたことが偶然であるように、我々の運命もまた、偶然にあやつられているからではなかろうか』

 さらに、こう続ける。

『我々が努力し、あるいはなまける。そういう心の動きすら、偶然の神秘によってあやつられているのだ……。人間は玉突きの玉のように、偶然の神秘によって(良きにつけ悪しきにつけ)、あてもなくラシャの上をさまよい、はじけ、まろげるのだ……』

 実例として、水木サンは日露戦争の日本海海戦のときの東郷平八郎と、忠臣蔵の発端となった江戸城松の廊下における浅野内匠頭を対比してみせる。

 東郷平八郎はバルチック艦隊の前で、危険極まりない敵前回頭を終えたあと、「大砲は撃つためにあるのだ。撃てーっ。ぶっぱなせーっ」と命じる。旗艦三笠から放たれた一弾は、偶然、敵の旗艦スワロフの司令塔に命中し、全軍の指揮官である提督の額を割る。それによりバルチック艦隊は統制を失い、日本の連合艦隊に壊滅させられるのである。

 東郷に残されたのは、世界の名提督として凱旋し、たくさんの勲章をもらい、88歳まで長生きして、軍神と崇められることだった。つまり、東郷は幸運な偶然の1発によって、まれに見る成功を手にしたことになる。

 対して浅野内匠頭は、さまざまな経緯はあっただろうが、江戸城内にいるときに、『偶然、全身にイカリが込み上げてきて』、吉良上野介に切りつけてしまう。殿中で刃傷沙汰を起こせば、当人は切腹、御家は断絶になると決まっている。よもやそれを知らないはずはない。にもかかわらず、内匠頭が刀を抜いたのは、偶然にあやつられた結果だと水木サンは分析する。

 おかげで、内匠頭は即日切腹。赤穂藩は取り潰しとなり、大石内蔵助はじめ家臣たちは路頭に迷う。その後、吉良上野介を討ち取って、主君の無念を晴らすが、己の人生は台無しである。

『もっとも、腹切って、名をのこして満足する人もいるが……』と、作中に登場した水木サンが述懐し、続いて冒頭の一言をつぶやくのである。

 高校生だった私には、この一言はショックだった。

 そうか、赤穂浪士は人生をかけて仇討ちを果たし、芝居や映画にもなって有名になったが、1万年もすればなかったことにされてしまうのか。たしかに、1万年前の人間で、今、名前が残っている者はいない。エジプトのファラオでもせいぜい五千年ほどだし、釈迦や老子はたったの二千五百年ほどだ。今は記録の手段が発達しているから、過去の1万年とは別かもしれないが、1万年後の地球がどうなっているかは想像の埒外だし、そのころの人間にほめられても嬉しくも何ともない。

 つまり、有名になることはほとんど意味がないと納得したのだ。

 努力についても目を開かされた。同じように努力しても、東郷さんのように成功を手にする者もいれば、赤穂浪士のように切腹をちょうだいする者もいる。偶然の神秘によって、努力も吉と出たり凶と出たりするのだ。

 そう心得ることで、私は努力に対して無闇に期待しなくなった。努力が報われなくても、失望の度合いを少なく受け入れられるようになった気がする。

(「偶然の神秘」より)

 

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