【48】武蔵は人がなんと言おうと平気だ、という人間でもなかった(ト書き)

©️水木プロダクション

「新講談 宮本武蔵」の最終話は、熊本の細川家に客分として招かれた後の武蔵を描いている。

 そもそもなぜ、武蔵は大名の招きに応じたのか。前話の「コブ」のラストでこう書かれる。

『武蔵はコブがなおるまでしばらく旅籠に滞在した……。剣豪という商標(トレードマーク)を守るためには、わずかなコブといえども、人目にふれてはネウチが落ちると思ったからだ。武蔵は剣豪というカンバンが色あせないうちに売り込んだ方が得策であると考えた』

 なんとも人間臭いではないか。吉川英治が描く求道者としての武蔵もいいが、実際の武蔵は、心のどこかにこのような本音があったのではないか。

 細川家に招かれた武蔵は、客分だから別に仕事もなく、部屋に寝ころんで無聊をかこちつつ述懐する。

『寝てもさめても「道」を求める……。楽しむことを知らぬ緊張の連続……。それによって生ずるいくばくかの虚名……。一体ソレがなんだ』

 水木サンの描く武蔵は、自らの人生に深い疑問を感じるのである。

 それに対し、武蔵を見かけた村人たちはこう言う。

『みろ。武蔵先生だ。常に剣のことのみを考えておられるのだ』

 スターに対する世間のイメージだろう。当然、そこには誤解とウソがまぎれ込む。

 ト書きにはこうある。

「大衆はあくまでも武蔵に『剣聖』を要求した」

 自室に寝ころびながら、武蔵はその要求に顔をしかめる。ほんとうの自分とはちがうからだ。そんなもの無視すればいいじゃないかと思うが、ここで冒頭のト書きが武蔵の本性を暴露する。

 武蔵は『シャーッ』と小便をしつつ(剣豪といえども小便はする)、『生活をしていくうえにもそのままにしておいた方がよい』と思い、たわむれに仏像を彫ってみたりする。仏像を選んだのは、『当時、彫刻でもしようと思えば、それしか題材がなかった』からである。

 単なる時間つぶしなのだが、世間はそうは見ない。

『さすがは武蔵だ。深い「剣の道」を求めておる……』などと、評論家もどきは何でも剣に結びつける。

 武蔵のホンネはどうだったのか。ト書きにはこうある。

『強いてこの行為を意味づけるならば、剣(勤労)を尊ぶあまり、レジャーを楽しむということを軽蔑したために、大切な青春すら失ってしまったその悔恨が、仏像を刻ませているのだ……』

 クソ真面目でも、才能がなければ適当に挫折して、うまい具合にガス抜きができるのだが、なまじ才能があると、その道に精進しすぎて大事な“青春”を失ってしまう。このパターンは私の同僚にも何人かいる。医師として優秀であったがために、治療や研究に邁進し、出世はしたものの、大事なナニカを失ってしまった名医たち……。彼らは多くの患者を救い、医療に多大な貢献をしたから、自分なりに満足しているのかもしれない。だが、世間や周囲の評価が思ったほどでなかったとき、武蔵と似た心境に陥るのではないか。

 水木サンも最後にこう書いている。

『大衆はそうした武蔵を、剣一筋に生きるヘンな人間に勝手に作り上げてしまった。そんなものを世の中の師表(世人の手本となるような人)であるかの如く言うものがあるが……、そんなことをまともに受けて生活した日には、かの晩年の武蔵のように、悔恨の仏像を刻むことになろう』

 これはもしかしたら、世間によってマンガと妖怪一筋に生きざるを得ない状況に追い込まれ、十分にレジャーを楽しめなかった水木サン自身の述懐なのかもしれない。

(「新講談 なまけ武蔵 ──晩年の武蔵──」より)

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