初期の鬼太郎の長編「鬼太郎夜話」には、貸本漫画版と、『ガロ』版の2バージョンがある。
『ガロ』版では鬼太郎の誕生秘話から詳しく描かれるが、貸本漫画版は、ねずみ男が吸血木のタネをフランク永井そっくりの『トランク永井』の腕に埋め込むところからはじまる(『ガロ』版では三島由紀夫そっくりの『三島由美夫』に埋め込む)。
貸本漫画版の鬼太郎は、初期の「墓場の鬼太郎」ふうに、左目がつぶれたように塞がれ、両眉を吊り上げた怪異な風貌に描かれて魅力的だが、『ガロ』版では、後の「ゲゲゲの鬼太郎」にも通ずる左目が髪で隠れた丸顔になっている。
いずれのバージョンでも猫娘が登場し、ふだんは美少女だが、ねずみを見ると化け猫に変身し、ねずみ男にも襲いかかる。そのとき、ねずみ男を助けるのが『ニセ鬼太郎』で、神通力がないことを嘆くと、ねずみ男がこう励ます(以下、貸本漫画版より)。
『ヒカンするな。今ニセモノの時代だぜ。永仁のツボをみろ。鬼太郎が二人や三人いたって世間はゆるしてくれるぜ』
永仁の壺は1960年に発覚した贋作事件で、ニセモノの壺が国の重要文化財にまで指定された古美術界の一大スキャンダルである。貸本版「鬼太郎夜話」が出版されたのも同年で、水木サンはこのように、たびたび時事ネタをマンガに取り入れている。
ねずみ男は、鬼太郎の神通力の秘密は先祖伝来のチャンチャンコにあると言い、ニセ鬼太郎に自分のチャンチャンコとすり替えるようそそのかす。本物の鬼太郎が、猫娘といっしょに『トランク永井』のショーに出かけると、ニセ鬼太郎は本物の鬼太郎が猫娘の手をにぎって赤面するのを見てこう言う。
『あんな顔をしててなかなかロマンチックなんだな』
それに対し、ねずみ男がシビアな毒舌を放つ。
「みにくいヤツほど美をもとめるものだよ」
これも一片の真実であろう。
ニセ鬼太郎がチャンチャンコを奪いにいこうとすると、ねずみ男が引き留め、『せいては事をしそんじる』と諭す。その前にも猫娘の恐ろしさを説明して、決行に待ったをかけたねずみ男に、ニセ鬼太郎が冒頭の一言を発するのである。
人生においては、決戦と称すべき勝負に出るときが何度かある。勝つためには戦略がいる。しかし、戦略が多すぎると迷いや混乱が生じ、逆効果になる。孫子の兵法でも、諸葛亮孔明の戦略でも、だいたいは単純で、くどくど理屈をこねくりまわしたりはしない。待ったをかけるねずみ男に、『理屈が多すぎやしないか』と返すニセ鬼太郎は、冷静と言わねばならないだろう。
しかし、ねずみ男は、『いや決して多すぎはしない』と答えたあと、ふたたび冴えた一言を洩らす。
「敗戦はみじめだからな」
実際に現場で敗戦を体験した水木サンならではの感慨だろう。さらにねずみ男はニセ鬼太郎に冴えたアドバイスをする。
「物を盗むときはな、おっとりと上品にかまえ、満ち足りた顔をするのがコツだぞ」
ニセ鬼太郎はそのアドバイスに従い、通用口とまちがえて便所の汲み取り口をノックしたり、ヘソの下に力をいれすぎて放屁したりする。すなわち、アドバイスはまったく役に立たないわけだが、偶然、押し寄せたトランク永井のファンのドサクサに紛れて、ニセ鬼太郎はまんまとチャンチャンコのすり替えに成功する。
現実の人生においても、事前の準備や作戦はあまり役に立たず、案外、その場の運や勢いが勝因につながることは少なくないということだろう。
(貸本漫画版「鬼太郎夜話」より)